エコロジカルな回心とは――Ecological Conversion?

エコロジカルな回心は、「神がわたしたち男女」に「託された」「世界」と「それ自体たまものであって、さまざまな質低下から守られねばならない」「人間の生」とを「守り改善」しようとする「努力」、「十全な人格尊重を前提と」し、「『ライフスタイルや生産と消費のモデル、そして今の社会を支配している既成の権力構造』における大きな変化を」も含意する「真のヒューマン・エコロジーのための道徳的条件を保護する」「努力」、「わたしたちを取り巻く世界のことを気にかけ」、「個々の存在物の本性を、そして秩序ある存在体系の中での存在物相互の間の関係の本性を考慮」しつつ、「存在するものすべてが神からのたまものであることを心に留めながら、生かされねばな」らない「現実を変容させる人間の能力」を生かす「真の人間的発展」に向かう「地球規模」の「道徳的な性質をも」つ「努力」を牽引する恵みの働きです。(LS 5参照)

エコロジカルな回心は、「現実主義や実用主義にかこつけて、環境への関心を嘲笑し」たり、「自分の習慣を変えようとしない」、「消極的」で「一貫性に欠け」たりする「人々皆に必要」な、「生態学的危機」によって「召喚」される「心からの回心」であり、「イエス・キリストとの出会いがもたらすものを周りの世界とのかかわりの中であかしさせ」、「徳のある生活」に「欠かせ」ず「キリスト者としての経験にとって任意の、あるいは副次的な要素で」ない「神の作品の保護者たれ、との召命を生き」させてくれる恵みの働きです。(LS 217参照)

エコロジカルな回心は、「全人格に及ぶ」「心の変革」であり、「過ち、罪、落ち度、失敗に気づき、心からの悔い改めと、変わりたいという強い望みへと導」き、「自分たちの生活を吟味し、行いや怠りによって神のものである被造界を傷つけてきたことを認め」させ、「被造界との健全なかかわり」を追求させて、「被造界との和解を果た」させる恵みの働きです。(LS 218参照)

エコロジカルな回心は、「永続的な変化をもたらすために必要」な「共同体の回心」でもあり、「社会的あるいはエコロジカルな自覚を妨げてしまう非倫理的な消費主義の餌食にな」らないよう、「功利主義的な考え方を避けるための力と自由とを」保たせ強めてくれる恵みの働きです。(LS 219参照)

エコロジカルな回心は、「優しさあふれる、惜しみない気遣いの精神を培ってくれるさまざまな態度」を求め、「感謝の念と見返りを求めない心」を伴い、「世界は愛のこもった神の贈り物であるということと、自己犠牲と善行を通して神の惜しみない心に倣うようそっと呼びかけられているということの認識」を含み、「わたしたちは他の被造物から切り離されているのではなく、万物のすばらしい交わりである宇宙の中で、他のものとともにはぐくまれるのだということを、愛をもって自覚」させ、「信仰者として」「御父が存在するすべてのものとわたしたちを結んでくださったきずなを意識しながら、外部からではなく内部から世界を見」させてくれ、「各信者」に「神からそれぞれ授かった固有の能力を伸ばすことを通して世界の諸問題を解決し、神に『喜ばれる聖なる生けるいけにえとして』(ローマ12・1)自分をささげることができるよう、豊かな創造性と熱意を注」いでくれ、「自分たち人間が優れたものとされていることを、個人の名誉や無責任な支配の根拠としてではなく、むしろ、信仰に由来する重大な責任を伴う、他とは異なる能力として理解」させてくれる恵みの働きです。(LS 220参照)

エコロジカルな回心は、「個々の被造物が神に属する何かを映し出しており、わたしたちに届けられるべき何らかのメッセージを有しているという気づき」と「この物質界をその身に受けたキリストは、復活した後、今なお、存在するすべてのものをご自分の愛で包み、その光をもってそれぞれの内部に入り、すべてのものに対して親密な存在でおられるという安心感」そして「神は、秩序とダイナミズム―人間にこれを無視する権利はありません―を書き込みながら世界を創造なさったという認識」から成り、「アッシジの聖フランシスコがあのように輝かしく体現した、全被造界との、あの高潔な兄弟愛をはぐく」んでくれる地味豊かな恵みの働きです。(LS 221参照)