2025年 すべてのいのちを守るための月間 司教メッセージ
2025年すべてのいのちを守るための月間
ラウダート・シ部門 担当司教メッセージ
「聖年におけるエコロジカルな回心」
今年、カトリック教会は通常聖年を祝っています。聖年は、巡礼や愛のわざを行い、免償の恵みを受ける特別な時ですが、もともと聖年は旧約聖書のレビ記25章に記されている、ヨベルの年に由来するものです。この年は、50年に一度巡ってくる、安息と解放の年です。畑を休ませ、人に売却した土地は元の持ち主に返却され、同胞のしもべは解放され、負債も免除されます。つまり、何らかの理由で生じた歪みを正し、本来あるべき状態へと回復させる時なのです。
この50年目の年を聖別し、全住⺠に解放の宣⾔をする。それが、ヨベルの年である。あなたたちはおのおのその先祖伝来の所有地に帰り、家族のもとに帰る。……ヨベルの年には、おのおのその所有地の返却を受ける(レビ記25章10、13節)。
創世記には、神がこの世界をお造りになったこと、すなわち創造のみわざの神秘について、神話的な表現で描かれています。神は、光、空、海、陸、植物、昼と夜、星、動物を創造し、そして、人間をご自分にかたどって創造されました。神はこのすべて、世界のすべてを、きわめてよいものとしてお造りになりました。それは、一つ一つの被造物が「神がこれを見て、よしとされた」ものであるばかりでなく、すべての被造物はいのちをはぐくむために互いを必要としており、そうした助け合う関係が保たれている被造界が、全体として「見よ、それはきわめてよかった」ということでもあります。
ところがわたしたち人間は、互いに助け合い与え合うよう創造されたにもかかわらず、他者に与える以上に自らのために欲し、自分に必要のないものまで次々に手に入れ、そのために自然を壊し、捨てる場所にも困るほど大量のものを廃棄しています。大量生産、大量消費、大量廃棄によって、被造物の関係を壊し続けているのです。しかも、こうした社会を、次の世代のことを顧みずに、目先の利益のために回し続けているのです。
そればかりか、神にかたどって創造された人間どうしでさえ、わたしたちは味方か敵か、役に立つかどうか、国籍、民族、宗教や主義の違いによって分け隔て、壁を築き、排除し、時には使い捨て、いのちを奪うことさえあります。
現代社会において人間は、まるで自らがこの世界の主 であるかのように振る舞い、支配し、搾取して当然であるかのような態度で生きています。しかしレビ記は、人間も、土地も、すべては主のものであると教え、「わたしはあなたたちの神、主である」という神のことばを繰り返し伝えます。環境問題に取り組もうとするとき、また持続可能な社会のために働こうとするとき、わたしたち人間が最初になすべきことは、この世界の主 は自分たちではないと謙虚に認めることではないでしょうか。自分を含むこの世界のすべては神からのたまものであるとわきまえ、そのすばらしさを賛美し、感謝する――、そこから始めるべきではないでしょうか。
神と人間、すべての被造物と人間、人間と人間の関係をわたしたちは歪めてきました。その歪みのしわ寄せは、おのずと、弱い立場に追いやられている人々に押しつけられています。聖年とはまさに、このようないびつになった状態を、元々の、神が造られた、きわめてよいとされた関係に回復させるために、すべてが互いを生かし合う関係へと立ち返る――、エコロジカルな回心の時なのです。
さて、教皇フランシスコの2019年の来日テーマを受けて日本の教会に設けられた「すべてのいのちを守るための月間」というこの特別な期間は、世界的にはキリスト教諸教派が合同で祝う「被造物の季節(Season of Creation)」に当たるものです。今年のテーマは「被造物との平和(Peace with Creation)」で、イザヤ書32章14節-18節にもとづいていて祝われます。
宮殿は捨てられ、町のにぎわいはうせ、見張りの塔のある砦 の丘は、とこしえに裸の山となり、野ろばが喜び、家畜の群れが草をはむ所となる。ついに、我々の上に霊が高い天から注がれる。荒れ野は園 となり、園は森と見なされる。そのとき、荒れ野に公平が宿り、園に正義が住まう。正義が造り出すものは平和であり正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。わが民は平和の住みか、安らかな宿、憂いなき休息の場所に住まう(イザヤ書32章14-18節)。
まさに、神が定めたこの被造界の関係性、秩序を尊重することなしに、平和を実現することはできないのです。このテーマに関連して、教皇レオ14世は、今年の「被造物を大切にする世界祈願日」の教皇メッセージで次のように教えています。
環境正義――すでに預言者たちのメッセージに含意されていたもの――を、もはや抽象的概念や遠い目標として捉えるべきではありません。それは、単なる環境保護にはとどまらない、緊急の必要性を示しています。社会的、経済的、人間学的な正義の問題なのです。さらに信仰者にとっては、信仰からの責務でもあります。キリスト者にとっては、イエス・キリストのみ顔を映し出すものであり、そのかたにおいて、すべてのものは創造されあがなわれたからです。気候変動、森林破壊、汚染といった破壊的影響を最初に受けるのはもっとも弱い立場にある人々だというこの世界にあって、被造界のケアは、信仰と人間性にかかわる問題となるのです。
回勅『ラウダート・シ』が世に出されて、今年で10年になります。教皇フランシスコが神のみもとに旅立たれたこの年、「わたしたちは、後続する世代の人々に、今成長しつつある子どもたちに、どのような世界を残そうとするのでしょうか」(LS 160)という教皇の呼びかけは、いっそうの重みをもって響いています。
今年の「すべてのいのちを守るための月間」が、今生きるわたしたちにも、次世代のためにも、信仰と人間性の両面から、すべてのいのちを守る生き方を広めていく祈りと行動の時となることを願っています。そのためにも、このたび邦訳が発表された「被造物を大切にするためのミサ」の式文を用いてミサを行うことをお勧めします。皆様の取り組みの上に、神の祝福と導きを祈ります。
2025年8月15日、聖母マリアの被昇天の祭日
日本カトリック司教協議会 ラウダート・シ部門
担当司教 成井大介
(参考)
世界のキリスト教諸教派は、9月1日からアッシジの聖フランシスコの祝日である10月4日までの約1ヶ月を「被造物の季節(Season of Creation)」と定め、神と、自然と、わたしたちの関係をふり返って祈り、祝い、回心し、その関係改善に向けての取り組みを進めています。カトリック教会もこのエキュメニカルな活動に参加しており、教皇は9月1日の「被造物を大切にする世界祈願日」に向けて毎年メッセージを出しています。
また、日本のカトリック教会は、2019年の教皇来日時の呼びかけに応え、2020年より被造物の季節と同じ期間を「すべてのいのちを守るための月間」と定め、意識と自覚を深めつつ、具体的に行動するよう呼びかけています。
詳しくは、以下をご参照ください。
●「すべてのいのちを守るための月間」設置について
●2025年「被造物を大切にする世界祈願日」教皇メッセージ「平和と希望の種」
●「被造物を大切にするためのミサ」式文と聖書朗読箇所
●被造物を大切にするミサについて(司教協議会会長 菊地功枢機卿メッセージ)